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2020年02月14日

近江商人屋敷の 〝 商家に伝わるひな人形めぐり ” を紹介いたします。④

 
令和2年の

" 商家に伝わるひな人形めぐり ”

が始まりました。何回かに分けて、会場をご案内致します。
きょうは、近江商人屋敷 中江準五郎 邸 を紹介いたします。

中江準五郎邸は、マップの ” ◎ ここです ” にあります

<中江準五郎邸は、マップの ” ◎ ここです ” にあります>

 中江準五郎邸は、戦前に朝鮮半島・中国大陸を中心に20数店の百貨店を経営した「百貨店王」三中井一族の五男である中江準五郎の本宅です。
「三中井」は、中江4兄弟により、明治38年(1905)に朝鮮の大邱に三中井商店として設立され、昭和9年に株式会社三中井百貨店として、本格的な百貨店経営にのりだし、一大百貨店となりました。
 しかし、昭和20年の終戦とともに海外の資産を失った三中井百貨店はその歴史の幕を閉じたのであります。終戦時、朝鮮に12店、満州に3店、中国に3店、日本国内では金堂を総本部(旧中井勝次郎邸 今年のひな祭りめぐり7に特別公開)として京都本社、大阪と東京の仕入部を持つ、朝鮮、満州及び中国大陸で最大の百貨店チェーンを築き上げていました。 最大時の社員数は4000人、年間売上高1億円の規模で、朝鮮域内の売上では、当時日本最大であった三越を超えていました。

近江商人屋敷 中江準五郎邸 正面入り口

<近江商人屋敷 中江準五郎邸 正面入り口>

 屋敷は、2階建ての切妻瓦葺で庭は池泉回遊式となっており、2階からは、まるで当時にタイムスリップしたかのような眺望をお楽しみいただけます。

準五郎邸二階からまちなみの甍を望む

<準五郎邸二階からまちなみの甍を望む>

準五郎邸といえば、東之湖作の雛人形と小幡人形

<「清湖雛物語」東之湖作による約30体の人形の大集合です>

一番奥の内裏雛は立雛になっています

<一番奥の内裏雛は立雛になっています>

地元の麻織物を淡い琵琶湖の青色に染めた近江上布を纏って立っています。

大嘗祭に望まれたイメージの大嘗雛

<大嘗祭に望まれた両陛下の衣装をモチーフに作られています>

令和雛 男雛は白の束帯、女雛は白の十二単に薄桜色の袴姿

<令和雛 男雛は白の束帯、女雛は白の十二単に薄桜色の袴姿>

二階に展示されている二段飾り雛の内裏と三人官女 背には立雛の掛軸が

<二階に展示されている二段飾り雛 内裏と三人官女 背には立雛の掛軸が掛けています>

囲い雛もありました

<二階には囲い雛もありました>

準五郎邸には、全国の土人形が展示されています

<準五郎邸には、全国の土人形が展示されています>

画像は、小幡の土人形(右)と、伏見の土人形(左)の作品を一体一体比較したものです。小幡の土人形は、伏見の土人形にその始まりがあるといわれています。

今年は、庚子(かのえね)ネズミの土人形も

<今年の干支は、庚子(かのえ・ね) ネズミの土人形も>


小幡のネズミの土人形は、年賀切手にもなりました。

東之湖さんのひな人形、一見に値する素晴らしい作品です。この平成24年からは、毎年、東日本大震災の復興支援として「絆雛」を作成されて宮城県に贈られています。


 次回は、宮荘町の 藤井彦四郎邸 のひな人形を紹介い達します。 







歩みの遅い しゃくとりむし でした。


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