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2016年07月28日

金堂町の文化財、・・・顕彰碑や史蹟碑

 一週間のご無沙汰でした。


 七月もあとわずかとなりました。九州地方では、集中豪雨が、関東地方では水不足が、また台風の発生が例年になく少ない etc ・・・と、いろんな異常気象の中、昨年よりも18日、平年よりも7日遅く関東甲信地方も梅雨が明け、本格的な夏、八月を迎えようとしています。

暑中お見舞い申し上げます


入道雲

<東の空に広がる入道雲(H.28.07.27.pm4:35.撮影)


 先日、プラザ三方よし前の肥田電機滋賀工場の中に、旧南小学校跡を示す石碑があると聞いていたので確認に行ってきました。

旧 五個荘南小学校全景

<今は無き懐かしの母校南小学校全景>

 史蹟碑は、工場正門を入ってすぐ右に折れたカイズカイブキの垣根の傍に立っていました。素晴らしい小学校であったのにしては、ちょっと寂しい史蹟碑、校舎全体の写真が入った看板を会社正面にでも建てたいですね。

肥田電機滋賀工場内にある史蹟碑

<ひっそりと建っていた " 旧南小学校跡 " 史蹟碑>

昭和四十五年五月 五個荘町教育委員会とある

<史跡碑 側面>

 金堂町には、いくつかの顕彰碑や史蹟碑がありますが、どうしてそこにあるのか解らない石碑もあります。自分が知っている町内にある石碑を見て回ってみました 。先ずは、市営住宅近くにある外村與左衛門翁頌徳碑を訪ねました。

14代外村與左衛門翁頌徳碑

<外村與左衛門翁頌徳碑>

 この碑は、14代外村與左衛門翁が早くから、世代を担う郷土青少年の育成に尽くされていて、財団法人日本青年協会結成に際し、土地建物一切の私財を寄贈され、この地に青少年の研修の場の関西青年道場を作ったことを頌徳するという内容が刻まれています。
 その後、この道場は、昭和32年からは五箇荘公民館として活用され、竜田に移るまで利用されたそうです。
 この頌徳碑の傍には、どこの川の欄干(?)か不明の柱状の石がありました。

稲荷神社にある金堂陣屋跡 史蹟碑

<稲荷神社にある金堂陣屋跡 史蹟碑>

 江戸の時代に、本多忠平が大和国郡山藩に国替えされたとき、旧南五箇荘、旧北五箇荘の一部がその所領となり、元禄6年にその中心の大字金堂に陣屋(代官所)が設けられ地域を管轄、後に柳沢氏に継続され明治に及んだとあります。大正年間に、地元住人の河添源次郎により、この陣屋跡に史蹟碑が建てられたのだそうです。

 次回は、外村繁顕彰碑、大城神社にある神社石垣に刻まれている昭和天皇御大典記念碑、他を紹介します。 
 



         
歩みの遅い しゃくとりむし でした。
    




             




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