2016年02月25日
杉原千畝博物館他へ行ってきました。
こんにちは! 1週間のご無沙汰でした。
相変わらず、日替わりメニューで変化の激しいお天気が続きます。天気予報士も予報が出しにくいことでしょうね。
今朝も、早朝ウオーキングで石馬寺の繖公園近くでは、日の当たらない所にはうっすらと白いものがありました。
やっぱり滋賀県地方は、比良八荒が済むまでは春は" おあずけ " と言ったところでしょうか?
ところで、先日2月17日(水)、東近江市文化団体連合会は、役員研修で岐阜県にある、杉原千畝記念館、関善光寺、関刃物センターへ行ってきました。 例年、この季節に、近隣の文化施設や博物館、美術館等を訪問し、その地域の特色ある文化や芸術を吸収・学び生かすよう努めています。

記念館は、岐阜県加茂郡八百津町八百津1071 にあり、そこは山の中の静閑なところでありました。
皆さんもよくご存知のことと思いますが、第二次世界大戦の最中、リトアニアの日本領事代理をしていた杉原千畝は、ユダヤ人へのビザ発給により6千人もの尊い命をナチス・ドイツの迫害から救った外交官で、東洋のシンドラーとも呼ばれています。(シンドラーについては、多分に美化されて伝えられているようですが。)




第二次世界大戦の最中、ドイツと同盟関係にあった日本が、ユダヤ人を助けるのはドイツに対する裏切り行為であったはず。でも、杉原は、ビザ発給の許可を得るべく日本の外務省に何度も打電をするも、返事はなく、やっと届いた返事は「NO!」。「自分の一存でビザを発給するしかない。処罰を受けてもそれは仕方がないこと。それよりも人間としての信念を貫かねば、・・・」と決心し、その後はビザを発給し続け6、000人ものユダヤ人の尊い命を救ったのでした。当時の国情の中で、信念を曲げず実行したものすごい人物で、感動するばかり。
ユネスコ国内委員会では、杉原千畝が欧州避難民救済のため、日本通過ビザを大量発給したこれらの記録を、世界記憶遺産に登録するべく申請することを2015年に決定し、その申請書を2016年3月、ユネスコに提出の予定となっている。
見学の後、美濃市に移動、うだつの上がっている古い町並み(伝建地区)の見学と昼食をして関善光寺に向かいました。
昼食をした朝田屋さんでは、伊藤博文の直筆という額が食事の間に掛かっていました。女将の話によると、二代前(?)の先代が、長州出身で伊藤博文とは交流があったとのこと。(何でも鑑定団ものか?) 建物も格調高いむくり破風の落ち着いた和食処でした。




関善光寺は、正式名称で「妙祐山宗休寺」といい、天台宗安楽律法流の寺院。比叡山安楽律院智堂大和尚を開基とし、安桜山麓の当地に建立されたそうです。本尊は、丈六の木造阿弥陀如来像。


重さが3t もある国内では珍しい形をした名鐘の一つで、岐阜県重要文化財に指定されている。
境内には、この大梵鐘の素晴らしさを歌った歌碑がありました。

それと、この関善光寺には、最近全国各地から注目を集めている仏像があります。その姿・印相が、ラグビー日本代表の五郎丸歩選手のあのルーテインのポーズにそっくり似ているのです。宝冠大日如来像で高さが3メートルほどの銅製。体の正面で手を組む「印相」が、ズバリ五郎丸選手と一緒なのです。参拝者からの指摘を受けてからというもの参拝者の数がグッと増えたそうです。

ありがたく、しっかりと拝んで、関善光寺を後にしました。
その後は、関刃物センターに寄り、刃物の磨き方の研修をして帰路につきました。

歩みの遅い しゃくとりむし でした。
相変わらず、日替わりメニューで変化の激しいお天気が続きます。天気予報士も予報が出しにくいことでしょうね。
今朝も、早朝ウオーキングで石馬寺の繖公園近くでは、日の当たらない所にはうっすらと白いものがありました。
やっぱり滋賀県地方は、比良八荒が済むまでは春は" おあずけ " と言ったところでしょうか?
ところで、先日2月17日(水)、東近江市文化団体連合会は、役員研修で岐阜県にある、杉原千畝記念館、関善光寺、関刃物センターへ行ってきました。 例年、この季節に、近隣の文化施設や博物館、美術館等を訪問し、その地域の特色ある文化や芸術を吸収・学び生かすよう努めています。

<杉原千畝記念館>
記念館は、岐阜県加茂郡八百津町八百津1071 にあり、そこは山の中の静閑なところでありました。
皆さんもよくご存知のことと思いますが、第二次世界大戦の最中、リトアニアの日本領事代理をしていた杉原千畝は、ユダヤ人へのビザ発給により6千人もの尊い命をナチス・ドイツの迫害から救った外交官で、東洋のシンドラーとも呼ばれています。(シンドラーについては、多分に美化されて伝えられているようですが。)

<杉原千畝 (1900年~1986年)>

<記念館内部>

<決断の部屋>

<M氏の、決断は、・・・・?>
第二次世界大戦の最中、ドイツと同盟関係にあった日本が、ユダヤ人を助けるのはドイツに対する裏切り行為であったはず。でも、杉原は、ビザ発給の許可を得るべく日本の外務省に何度も打電をするも、返事はなく、やっと届いた返事は「NO!」。「自分の一存でビザを発給するしかない。処罰を受けてもそれは仕方がないこと。それよりも人間としての信念を貫かねば、・・・」と決心し、その後はビザを発給し続け6、000人ものユダヤ人の尊い命を救ったのでした。当時の国情の中で、信念を曲げず実行したものすごい人物で、感動するばかり。
ユネスコ国内委員会では、杉原千畝が欧州避難民救済のため、日本通過ビザを大量発給したこれらの記録を、世界記憶遺産に登録するべく申請することを2015年に決定し、その申請書を2016年3月、ユネスコに提出の予定となっている。
見学の後、美濃市に移動、うだつの上がっている古い町並み(伝建地区)の見学と昼食をして関善光寺に向かいました。
昼食をした朝田屋さんでは、伊藤博文の直筆という額が食事の間に掛かっていました。女将の話によると、二代前(?)の先代が、長州出身で伊藤博文とは交流があったとのこと。(何でも鑑定団ものか?) 建物も格調高いむくり破風の落ち着いた和食処でした。

<食事処 「朝田屋」 入り口>

<伊藤博文の書 唫爲聴蝉高>

< " うだつ " の上がった美濃市の古い町並み>

<安桜山麓に立つ関善光寺本堂>
関善光寺は、正式名称で「妙祐山宗休寺」といい、天台宗安楽律法流の寺院。比叡山安楽律院智堂大和尚を開基とし、安桜山麓の当地に建立されたそうです。本尊は、丈六の木造阿弥陀如来像。

<本尊の丈六木彫阿弥陀如来像>

<大梵鐘 中国明の時代の鋳造 「大平護国天尊」と浮字あり>
重さが3t もある国内では珍しい形をした名鐘の一つで、岐阜県重要文化財に指定されている。
境内には、この大梵鐘の素晴らしさを歌った歌碑がありました。

<大梵鐘のことを詠った歌碑>
それと、この関善光寺には、最近全国各地から注目を集めている仏像があります。その姿・印相が、ラグビー日本代表の五郎丸歩選手のあのルーテインのポーズにそっくり似ているのです。宝冠大日如来像で高さが3メートルほどの銅製。体の正面で手を組む「印相」が、ズバリ五郎丸選手と一緒なのです。参拝者からの指摘を受けてからというもの参拝者の数がグッと増えたそうです。

<日本唯一の「五郎丸ポーズ」の大日如来像>
ありがたく、しっかりと拝んで、関善光寺を後にしました。
その後は、関刃物センターに寄り、刃物の磨き方の研修をして帰路につきました。

<関刃物センターで刃物の磨き方の研修です>
歩みの遅い しゃくとりむし でした。
今年の春の若鯉審査会が行われました
花筏
新しい命の息吹を感じる春の到来です。
久しぶりの訪問です❣
新幹線 Dr.Yellow last-run を撮影しました。
i獅子舞がやって来た 一月七日は人日 七草粥を食べましょう
花筏
新しい命の息吹を感じる春の到来です。
久しぶりの訪問です❣
新幹線 Dr.Yellow last-run を撮影しました。
i獅子舞がやって来た 一月七日は人日 七草粥を食べましょう
Posted by 金堂まちなみ保存会 at 23:50│Comments(0)
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