もうすぐ、地蔵盆です。

金堂まちなみ保存会

2020年08月09日 16:00

 

 梅雨が明けるとそこはもう、真夏で、猛暑日が続く毎日です。 熱中症に罹らないよう気を付けたいものですね。

 今週末には、地蔵盆が行われます。コロナの影響のある中ではありますが、子どもたちの夏休みも短くなり、郷里へのお盆帰りもままならない状況の中で、少しでも子どもたちに楽しみをという思いで、三密を避け規模縮小するなどの工夫をして実施することになりました。

 地蔵盆は、子どものためのお祭りで、子どもの健やかな成長を願ってお地蔵様を供養する行事ですが、金堂町内にある5つの地蔵堂の各所で地蔵盆は実施されます。その一つに、東出地蔵堂(通称:大日さん)があります。


<金堂町東端大城神社前通りと景清道の交わりに立つ東出地蔵堂>


 この地蔵堂は、建築年代が文久三年(1863)という記録がありますが、建物としての耐用年数に達したため、平成21年に改修されたました。


<修理前の東出地蔵堂 瓦もだいぶん傷んでいます>


 ころで、金堂まちなみ保存交流館には、気をつけて見ないと見過ごしてしまう ” あるもの " があります。
 それは、玄関に入る前の右横に置かれている幾つかの鬼瓦です。この鬼瓦、実は、修理前の東出地蔵堂の屋根に乗っていた鬼瓦なのです。
 そして、その鬼瓦に彫られている内容は、「司馬温公の瓶割り」と云われているもので、中国は北宋の政治家で、274巻に及ぶ「資治通鑑」を書いた学者司馬温公の、幼少7歳の頃の出来事が表現されているのです。


<司馬温公の瓶割りの図が彫られている鬼瓦>

 一部壊れて無くなっているのですが、" 文久三年 八幡 瓦仁 作 " とありました。
 この瓦仁なる人物は、1600年代、京都は深草から近江八幡の寺院の鬼瓦作りに来られた瓦師の次男に当たるそうで、各地にその作品があるそうです。


<八幡 瓦仁 作 とあります。>


<司馬温公の瓶割りの古事が鬼瓦に焼かれています>


 司馬温公の瓶割りを表現した作品は、日光の東照宮陽明門の一角にも見られます。文久3年に、既に東出地蔵堂の鬼瓦に作らせた当時の講の皆さんの子どもに対する熱い思いの高さを思い知らされます。


<日光東照宮陽明門にある司馬温公の瓶割りの彫り物>

 中央は、瓶が割れたので瓶に落ちた子が這い出しています。その左は石をもって手を振り上げている温公、中央右の子は、助かって手を叩いている子ども、一番左の子は、叱られると思って逃げ出す子ども、右端の子は、何もできなかった子ども をそれぞれ表しているそうです。

 瓶割りの話しの内容は、概略次のようなものです。 
 司馬温公の父が皇帝から賜った大きくてとても高価な水瓶がありました。その近くで友達と遊んでいたところ、友達の一人がその水瓶の中に落ちて、今にもおぼれそうになったのです。 そのとき温公これを見て、直ちに石をとり瓶を割り水を出して友を救いったというのです。それを聞いた父親は、しかるどころか温公をほめたたえ、改めて命はどのような高価なものよりも大切だということを教えたというのです。
温公の逸話 「器は軽し、人名は重し」 は、世に最も知られたものとなりました。
温公曰はく「吾に優されたるものなし、唯平素未だ一事として人に言うを恥づるの行為をなせしことなし」 と。


 当時の大日さんの講の皆さんは、この 「司馬温公の瓶割り」の様子を地蔵堂の鬼瓦に刻することによって子どもたちに、命の大切なことを教えたのでした。
 この鬼瓦は、再び屋根に戻ることはないでしょうが、大切にしたいものですね。 皆さんも、もう一度じっくりと眺めてみませんか。


 




歩みの遅い しゃくとりむし でした。



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