夏の京都旅行

金堂まちなみ保存会

2014年10月11日 23:16

またまた大型で強い台風が接近してまいりました。近畿は今回通らなさそうと思っていたのに、進路を変更して日本列島を縦断していく予想に変わりました。昨今、自然災害で大きな被害が続いています。滋賀は比較的被害がないことが多いですが、気を引き締めておきましょう


さて、今回のブログはネタ切れもあり、金堂から少し離れて、お盆に京都に行った時の写真を載せたいと思います

訪れたのはJR嵯峨野線丹波口駅付近本願寺付近と言った方が、何となく分かりやすいでしょうか?

ただ、今回行ったところはある種の人には人気がありますが、そうでない方から見れば、ガイドブックなどでも比較的扱いは小さいので行こうとはあまり思わない観光スポットでした

もったいつけましたが、今回行ったところは島原。


島原の入り口であった大門です。

現在島原で、往時の姿を残しているのは、この大門と後述する数軒の建物のみとなっているそうです。

島原の説明を少ししますと、江戸時代以降、お上公認の花街(歌舞音曲を伴う遊宴の地)として発展してきた町、だそうです。島原という名前は、以前六条三筋町にあった場所から現在の朱雀野に移された時の騒動が、九州の「島原の乱」を連想させたところから「島原」と呼ばれるようになったとか。花街と呼ばれるところではありましたが、文芸も盛んであり、文化人の交流も盛んだったようです。と、私も行ってから詳しい説明を初めて聞いたのですが


始めに向かったのは右手の建物、「角屋」。現在は「角屋もてなしの文化博物館」として、公開されています。

角屋は「揚屋(あげや)」に分類されます。揚屋とは、今でいう料亭のようなところであり、置屋(後述)から太夫や芸妓を呼んで宴会を行う場所でした。料亭であったため、広い台所と立派な庭と部屋があります。営業は昭和の後期で終了されており、揚屋建築の貴重な遺構ということで、国指定の重要文化財に指定されています。


人が思い切り写りこんでいますが…こちらが、台所であり、台所から玄関周辺の座敷を見るように写した写真です。

この男性の上に写っている電気の笠のようなものは「八方」というそうで、当時の灯りです。「四方八方を照らす」の語源はこの灯りからきているそうです。


こちらはおくどさん。「さすが料亭、大きいおくどさんやね」と思ったあなたは私と同じです

こちらのおくどさんは、神様が使うためのおくどさんだそうで、実際はこちらの角屋が建てられてからは、一度も使われたことがないそうです。


こちらは松の間と呼ばれているお部屋です。真夏の逆光でさっぱり見えませんが、立派な松が見えるお部屋となっています。ただし、松は確か一度枯れて、写真は二代目だとか。なので、庭は京都市指定名勝に留まっています。また、こちらの部屋も一度火災で焼けて再建されており、こちらの部屋は重文指定からも外れているそうです。新撰組の芹沢鴨が、人生最後の宴をしたのもこの部屋だとか。

こんな話をお聞きできたのも、写真に写っておられる「角屋保存会」の方のガイドのおかげです。お客さんがたくさんすぎて大変そうでしたが、決まった時間以外でも積極的にガイドされたりしておられ、さすがもてなしの文化博物館とおっしゃられるだけあるわと感心していました(やはり館の運営などは気になるところです)

ちなみにお客さんがたくさんだったのは、おそらく例年は夏季休業しておられるのに、今年はキャンペーンで開館しておられたからだと思います普段の開館時は、非公開の二階が要予約で公開され、こちらがまた素晴らしい建築らしいのですが、今回はリサーチ不足で見学できずに終了いたしました載せませんでしたが、網代天井が素晴らしい部屋もありましたよ。


こちらは、先ほどの角屋から少し歩いたところにある「和違屋」。こちらは「置屋」になり、先ほどの角屋のような料亭に派遣する太夫や芸妓を抱えているお店です。こちらは京都市指定文化財で、現在もお茶屋として営業されており、普段は非公開となっています。


先ほどの角屋よりスケールは少し小ぶりになりますが、こちらもよい建物です。

近藤勇の書が屏風にされて残っていました。


写真撮影禁止だった二階はこのようなところでした(へろへろのパンフレットの写真で申し訳ないです)。道中傘を襖に貼ってあるそうです。

桂小五郎の掛け軸がかかっていましたが、近藤勇のほうが字が上手いと思ってしまいましたよ

こちらは上記の「笠の間」や本物のモミジを塗りこんだあと着色して作った壁がある「紅葉の間」がありました。


そして、島原を出て、ここまで来たからと思い、壬生まで歩きました。

壬生と聞くと、「あれ?」と思われるかもしれません、そうです、新撰組ゆかりの地です。最初に「ある種の方には有名」と書いたのは、歴史好きの方はご存知の場所という意味です。


次に行ったのは「八木家住宅」。こちらは新撰組の屯所として使われていたお屋敷が、そのまま残っています。

室内は撮影禁止でした。外観は撮り忘れていたようですこちらの八木家は、先ほど書いた芹沢鴨が殺された時の刀傷が、室内にそのまま残っています(角屋で宴会の後帰宅、酔って寝ているところを襲撃されたそう)。

パンフレットに「八木家の門にかけられた新撰組の表札を見て隊士が喜んでいた」というエピソードが書かれており、それにはほのぼのしましたこちらの八木家は京都市指定有形文化財となっています。


八木家のお向かいには、こちらも新撰組の屯所となっていた前川家があります。

この写真の門は新撰組隊士、山南敬介が脱走ののち連れ戻されて、内部粛清される前に牢屋として使われたといわれています。今は塗り込められてなくなっていますが、当時は窓があり、恋人であった遊女明里とこの世の名残を惜しんだというエピソードがあります(創作??)。

八木家・前川家は、実は今回で行ったのは2回目でしたが、前川家に土産物屋ができていてびっくりしましたちなみに八木家は和菓子屋で、八木家の入館料には抹茶・和菓子がセットになっています


今回は長くなりましたが、このへんで失礼いたします。角屋はもう一度行きたいな~



                                           D下


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